★盆仕草

 新幹線の車窓の中を景色が高速でながれてゆく。人も木々も川も鳥も、鳴りをひそめてあらゆる営みを停止させているが如く、移りゆく景色には一辺倒の無機質さが孕まれている。今、自分がどれほどの猛スピードで動いているのかを、その表情を失った日本の風景が教えてくれる。広島駅に降立ち、船に乗るために港へと向かう。68年前に原子力爆弾を落とされた町を、路面電車が縫う様に走る。

(明日は敗戦記念日だな...)

西に傾いた陽が赤く染める宇品港をゆっくりと出航する船がある。呉を経由して目指す港は伊予の国、高浜港である。かつて苦しみながら焼かれて亡くなっていった人達を思い、離れてゆく陸に向かって手を合わせる。眼前には穏やかに波立つ瀬戸の海が銀色に輝いている。行き交う船は滑る様に水面を走り、海鳥は雁行型に空を渡る。おにぎり型の小さな島々の影が、斜陽に照らされてくっきりとその姿を浮かび上がらせている。身共は甲板に昇って暫く潮風に吹かれてそれを眺めていた。

(ん...?)

ふと、フェリーがたてる白波の上へ視線を落とすと、ペットボトルが踊っている。一瞬目頭が曇る。人間の...というよりも己の生活が依存するこの文明に思い馳せる時、問題は山積みでならない。自動販売機から出てきたペットボトルがやがて瀬戸の海に浮かぶ。何気なく手にするあらゆるものが再生不可能な現代社会の営み。

(すべて繋がっている...)

と実感しながら生活したい。空と海とが紅に染まって混ざってゆく。太陽と地球とが織り成す夕暮れが沈黙したかと思うと、東の空高く鞠の様な月が輝いていた。程なくして船は伊予の地へ静かに着岸した。


盆の空はすこぶる青く、瀬戸内独特の小さな入道雲が低くぽつりぽつりと浮かんでいる。木々は青々と燃えんばかりに繁っている。手にした柄杓から溢れる水が祖母の墓石を濡らし、香から立ち昇る糸の様な煙が風に揺れ、辺りがほのかに薫る。

(この人がいなければ、身共が産まれてくる事もなかった...)

すべてが繋がっていると考えたい。寺の裏山からは、蝉しぐれがこだましていた。


祭の準備は日々慌ただしさを増していた。三津浜の港に祭を現出させるためである。"ケパソ"と銘打たれたその集いを始めたのは6年前に遡る。今年は4回目にあたる。首謀者であるドックは中学時代からの同輩である。共に四半世紀を音楽革命に捧げてきた同志と言えなくもないが大袈裟ではある。兎角アナーキーでピースな奴である。そこに賛同されたし、みっちゃんや、アルイや、まっちゃや、なぎや、カツオたちと会場作りが始まった。お天道が煌煌と燃える最中、草むしりから設営、電球を吊るしたり、テントを立てたり、リハーサルをやったり、サザエさんが持ってきてくれた水瓜の差入を頂きつつ、たくさんの人々が作り上げた空間が、築100年の木造蔵を取り巻く様に出来上がった。潮風がほんのり涼しさを運んでくれる。あとは祭が始まるのを待つだけである。


照りつける日差しによって気温は鰻登りの日中。しかし案外に蔵の中は涼しい。扇風機を回して、氷を入れた桶を風の前に置く。幾らか涼しい風を送るためである。2階建ての蔵の1階がダンスフロアになっている。ライブは地元の唄三線グループ"シマウタ電化サービス"を皮切りに、松山が誇るスカバンド"スカッターブレインズ"や、大阪からはアニキ"ロホレガロ"がはるばるやってきてくれた。我らが"問組"も初ライブで参戦。DJ陣もナイスな輩達が集まってくれて大盛況であった。出店もあって、どこか懐かしさが漂う盆踊りであった。資材を貸してくれた地元の協力者達にも、一緒に創り上げてくれた仲間達にも、皆様に心から感謝の気持ちで一杯である。貴重な蔵を使わせて頂けた事にも、深い感慨を覚えた一日であった。


祭の後は決まって静かな時間が流れるものである。翌日は後片付けを終えた後、道後温泉別館"椿の湯"でゆるりと身体を癒し、一人、また一人と伊予の地を離れ、東京、京都などへ帰ってゆく。

(またいつか三津浜の居酒屋で酒を...)

と、そう心で呟いたのは身共だけではなかったかも知れない。


港町の空はどこまでも深い青を映している。三津浜という地を訪ねてみると、古くは"ニギタツ"という地名に行き着く。皇族の祖先が大和まで昇る際に立ち寄ったとされる云われがあるが、何があったかは定かではない。身共の研究の一つでもある。つまり古の大国主命や聖徳太子の逸話も残るような滅法古い道後の湯に、人々が集まらなかった訳はないと思われる。その海の玄関口として三津浜は古代から必ず栄えたであろう。賑やかだったに違いない。近所に巨石を積み上げたカレンダーがあるのも頷ける話である。もちろん海賊達が治めていた地域であろうし、太閤の扶持を受けるまでは、平氏のながれを汲んだ反体制であったはずである。因に道後を治めていた湯築城は15世紀に秀吉の軍に滅ぼされている。海を生活の糧の場として選んだ人々は、現代社会を渡るために漁業や港、造船などを生業としたはずである。何故、戦艦大和が呉で造船されたかは言うを待たないだろう。この島国の交通は古代から陸路より海路が中心であったために港町では混血も進んだ。そんな三津浜の氏神はやはり"厳島神社"である。白い砂地の境内には、立派な赤松の老樹が昇り龍の如く聳えている。

(たしか神社に奉納された古い絵馬にも蜷局を巻く双龍が描かれていた..)

秋には喧嘩神輿で賑わう境内の松の木陰に腰を下ろしていると、鳩の群れが羽ばたいてきて、身共の辺りを埋めはじめた。その数100羽は超えている。

(たれかが餌付けしているらしい)

生憎なにも持ち合わせていなかったので暫く眺めていたが、やがて鳩も見切りをつけて1羽、2羽と徐々に方々の日陰へ去ってゆく。程なく身共もその場を発った。


松山空港を飛行機が離陸したのは酒場の日の朝であった。眼下には瀬戸の島々が青い海に点在している模様が見渡せる。やがて小さくなったかと思うと、雲をかすめて東へ進路を取った飛行機は関東を目指して飛行した。成田空港に降り立つと空は霞がかっていた。そもそも生活する人間が多い以上、排出するガス等の量も増えるのは当然と言えば当然かも知れない。今、我々の用いる文明が地球の手綱を握っていると言えよう。瀬戸内海に浮かぶペットボトルと、関東の空模様は同じ警鐘であるかのように感じられる。バスに揺られて武蔵野に着くと、井の頭の公園にはつくつく法師が鳴き込めていた。盆が過ぎればもう秋は其処までやってきていた。



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