★ダイダラボッチと髑髏

新月の元旦を迎えた西暦2014年も半月を経た。円々と満ちたお月さんが、日に日に翳りを増してゆく今日この頃。丁度どんと焼きの時期に満月だったのが印象深い。武蔵野の空は連日穏やかな冬日和である。彼岸花の莟がうなだれている。白いコウベを垂れたその姿が髑髏を思わせる。早緑月とも呼ばれるこの季節。緩やかな北風が凪ぐ。

(春の気配かな...?)

僕は今年から小平へと住処を移した。井の頭から西北西へ約5里。緑が多く、空が広く、人が少なく、夜中は地元のヤンキーたちが徘徊する田舎街である。好い飲み屋も在る。江戸城築城のための資材を運搬する目的で開通したという云われを持つ青梅街道が街を横断する。武蔵野台地の中でも水利に乏しく起伏の少ないこの地域は、永らく田園を持たない広大な荒野であったという。田無市と接している事からも察せられる事情である。氏神は熊野宮。近くには江戸時代の人気者、製鉄民の神、氷川さんの小さな社も鎮座する。旧石器時代の人類の痕跡も残っている。おそらくマンモスが生息していたのだろう。平(タイラ)という地名は、古代から受け継がれる製鉄共同体、タタラから変形しているケースが多い。代田(ダイタ)や太良(タラ)も同様である。理由は彼等の信仰するダイダラボッチに由来する。鉄を作る行程で炉を覗く必要のあった彼等は、片目を失明する可能性が高かった。更に片足だけでタタラを踏む為に、足を不具にする人も多かったという。故に、ひとつ目、一本足のダイダラボッチを祭って厄を除けるのである。中国地方のひとつ目小僧や、四国のひょっとこ(火男)も、ダイダラボッチと同類の竃神である。そんなタタラとしての名残が地名として全国に残っている。日本人の製鉄は、鉱石から純度を高くして精製するヒッタイト系の鉄と違って、砂鉄を採取して精錬するタタラをルーツに持っている。タタラで作られる鉄は鋼である。日本刀が世界で最も切れ味のよい刃物だったのは、その技術を汲んでいるが故である。神話ではヒヒイロカネという金属が登場するが、この石器時代の流れを汲む石の文化は、途方も無い高度な域に達した技術体系である。巨石も然り、現代の建築技術者さえ沈黙する程の技術を、何故に古代の人が持ち得たのか。ただひた隠しにされたままである。何故なら今の文明は石を燃やす事に躍起になっているからである。その醜態はアボリジニーの警鐘を無視して、プルートにまで手をつける始末である。

(知恵が蹂躙される時代か...)

金の為にそれらは正当化され、遂行された。百年後に公害で苦しみ、その50年後に放射線に汚染された。いつも苦しむのは民衆である。しかし立ち上がるのも民衆である。嘗て陸奥が飢饉に曝された時代。人々は腐肉までも食して命を繋げなければならなかった。我々の祖先が避けられなかった餓えという悲劇。おそらく皆の遺伝子が持つであろう暗黒の時代。先人達の苦労は、我々には往々にして計り知れないところがある。しかしいつしか立ち直り、墓に蓋をした。その記念すべき現象を人々は祀り、祈りを連鎖させた。

(人という字が、合掌のかたちに似ている理由だろうか?)

在る意味、人は祈る生き物だと言える。農民、猟師、漁師、芸人、公家、役人、商人...。古来からあらゆる階級や、無数の生業が人にはあるが、祈らなかった人々は皆無であろう。古から現代まで欠かす事の無かった人間の営みは、今の日本人の生活にも息づいている。

(2014年...)

音を次元とする芸の道を生きるいち人間として、いち小平市民として、未知なる運命が待ち受けているであろう2014年。力の限り自分の芸に取り組んでいきたい所存である。澄んだ小平の空を北風が洗う。まもなく寒さも明け、春に入るだろう。


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