★STONE CONVERSATION

 古代人の痕跡。それらは我々現代人の目には、なんとも理解し難い不可思議な遺物にしか見えないようだ。日本各地に分布する巨石の類いもそのひとつである。アニミズムの流れを汲む神道に於いては、それらを"磐座(イワクラ)"と呼ぶが、人類の文化はその発生当初から”石”とおおきく関わりを持ってきた。所謂石器時代はおよそ250万年を遡ることが出来るという。はじめは未加工の石を道具として使用した。やがて生活のなかで利便性を求め、打ち砕いたり、研磨したりして、性能を高めることを可能にした。そんな旧石器人の技術が最も花開いたのが巨石文化であると思われる。世界各地に点在する、メンヒル(立石)、ストーンサークル(環状立石)、ドルメン(列石)など、形状は様々で、その数は計り知れない。そして何よりも用途が謎である。学者の見解も千思万考なのが現状だ。

さて、僕が先月、鹿児島県は出水市の山の中で出会ったのがこの巨石である。一見して分かるように、正確に男根のかたちが模されてあるが、これらを"陽石"と呼ぶ。周辺にはまるで何者かに荒らされたかのように、大きな石がゴロゴロと散在していた。事実、朝廷が興った奈良県大和の巨石には、意図的に壊された跡があるという。確かに、征服者にとっては先住民の遺跡など邪魔で仕方が無かったのかも知れない。16世紀にメキシコを征服したエルナン•コルテスが、湖に浮かぶ美しい水上都市テノチティトランを悉く破壊したように...。ここら辺に石の文化が解明されないひとつの大きな理由があると言える。つまり巨石は、彼等征服者側が創ってきた歴史の正当性を喪失させる恐れを孕んでいるのである。その結果、多くの"磐座"が注連縄によって封印状態にされた。

次に訪れたのが、"陽石"から程近い場所にある”陰石”である。言わずもがな、こちらは的確に女陰のかたちが模されている。写真では分かりづらいかも知れないが、高さは10mを優に越えている。しかも面白いことに、石の割れ目に男根が刺さろうとしているのだ。”性器信仰”とかいうそんな言葉や概念では片付けられない、なにか凄まじいものを感じた。おそらくは後期旧石器時代、即ち3万年から1万2000年くらい前に作られたであろうモニュメントだが、現在の技術では勿論製造は不可能だろうし、つくる人も居ない。かつては呪術的な場所だったのか、はたまた僕たちには想像もつかない様な用いられ方をしていたのか、全くもって謎である。

約1万2000年前、最終氷河期の海水面は現在よりも最大140mも低かったとされている。、日本列島は朝鮮半島やユーラシア大陸と地続きになっていた。よって現在は海に没している巨石も往々にして存在するだろうし、与那国島の海底に巨大な石の遺跡があるのも道理である。"陽石"から眺める景色は薩摩半島の西へと広がっていた。視線の先にはピラミッド型の山々が連なっているのが見える。幾万年の時を越えて、石は静かに佇んでいる。摩訶不思議なこの星が辿ってきた歴史の突端に僕らは生まれ、今を生きている。いろいろな過ちを繰り返しながら。それでも生きてゆく。そんな僕らに巨石は何を語るだろうか。また訪ねに行きたいと思う。


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