★2013迎春

今年の元旦の空気はよく澄んでいた。井の頭界隈の氏神である牟礼神明社に詣でた家すがら、牟礼の里公園に立ち寄った。西の茜空には遠く不二のお山の姿がくっきりと見て取れた。江戸に住む人間は皆富士山信仰を持っていたらしい。たしかに美しい。寒風が吹いて耳を掌で覆った。西暦2013年が始まった。思えば随分未来にまで来たものだ。未来の音楽が溢れている。しかしひとむかし前の音楽も洋の東西を問わず生きている。産まれ続け、いいものは生き続けている。江戸時代にはどんなバンドがいたのだろうか。更にもっと太古の昔には...。思わず口角が上がる。華の東京は松の内二日目から既に沸き立っていた。僕は渋谷宇田川町にある文化村へと赴き江戸時代の禅師、白隠鶴の禅画展をご拝観。なんとも素晴らしかった。『夜船閑話』という医学書(闘病記?)を残したこの江戸時代中期の臨済宗の禅師を、僕は闘病期に知った。白隠さんは肺結核だったらしいが僕はガンであった。展示されていた美しいキセルを眺めながら口角が上がっていた。現在の禅宗はすべてこの白隠さんに通ずるという。秩父の山寺、太陽寺での宿坊が鮮明に脳裏に沸いて出てきた。耳に聞こえてくるのは鳥の声、風が吹けば木々がざわつく音、遠くからは川のせせらぎくらいであった。静かである。座禅を組めば体を流れる血液の音まで聞こえてきそうだった。夜は深い闇を落とした。住職手製の露天風呂に浸かって満天の星空にコウベを上げたのを覚えている。神仏もののけがいるかいないかは誰ひとり立証出来はしないが、いないとなるとなんともつまらない。かつては本当にいたのだろうか。否、きっと今も...。東京の光は妖怪たちを殲滅した。あるいはこんな闇の中にはまだ...。中世室町時代は妖怪が跋扈した時代であった。百鬼夜行である。都は陰陽道を使った。人は刀を極め祟りを斬った。戦人達は地獄を恐れず人を斬らなければならなかった。殺生が身近になり喜んだのは猟師や漁師くらいだったという。時代は時に神をも殺す。 

お餅がぷくっと膨らんだ。それをすまし汁に入れれば伊予風お雑煮の完成だ。松の内三日目ともなるとお腹もぷくっと膨れた。井の頭と言えば弁天様が鎮座することで古来から知られている。ローム層が織りなす関東平野の豊かな自然に古代から人が住まなかった訳がなかった。近隣には縄文時代の横穴も見つかっている。広大な武蔵野平野は各所で清水が湧き出てマンモスたちが闊歩する大自然だった。ここ井の頭もその一つだろう。弁天参道には人頭蛇体の宇賀の神が石塔になって立っている。この日は井の頭公園をすこし散歩する事に決めた。池の水面にはカルガモが数羽、寒空に身体を縮ませている。弁財天社の朱が澄んだ空気で鮮やかさを増していた。この天女は天竺の蛇神ナーガが由来とされる。即ちシヴァであり、不動明王に他ならない。長い時間はすべてをチャンプルーする。自分たちの祖先が紡いできた糸の先が今である。例外なく音楽にもまさに同じ事が言える。今は自分たちが紡いでいる最中である。いろいろ学んだ筈だ。偉人もたくさんいた。しかし戦争や飢饉や原子力など人が抱える重大な問題はまだ様々に現存する。何故かと問われても一様な答えなど何処にもなく、運命だとも思いたくはない。「同じ過ちは繰り返さない」。子供にも分かるであろう当たり前の事が人は案外に難しいらしい。僕らは原子力発電所をこの国に拵えた政府を再選させた。矛盾を抱える動物だからこそ人生は面白いのかも知れない。松の内は終わりを向かえた。間もなく鏡開きだ。今年はどんな年になるのだろうか。「どんなに未来が明るくても、決して過去を忘れてはならない。」ボブマーリーの台詞がふと脳裏をよぎる。


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